周辺散策
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奈良の深さを知る・楽しむ
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奈良の深さを知る・楽しむ

奈良市は街全体が世界遺産

「古都奈良の文化財」は単一施設での世界遺産登録ではなく、8 つの資産全体がひとつの文化遺産として登録されていることが特徴で全 体で、ひとつの価値を物語っています。1998 年に世界遺産「古都奈良の文化財」に登録された資産がある奈良県奈良市のどかな自然や 素朴な風景があちこちに残り、悠久の歴史を感じることができます。

<春日大社・東大寺・興福寺・薬師寺・平城宮跡・唐招提寺・元興寺・春日山原始林>

奈良公園の鹿

広大な敷地を持つ奈良公園の一部は春日大社の境内でもあります。その春日大社の 祭神、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)は鹿島神社(茨城県)から神鹿に乗って ってやってきたと伝わるため、鹿は神の使いとして古くから手厚く保護されてきま した。現在も奈良の鹿は天然記念物として大切に保護されています。 奈良の鹿を守るために~奈良の鹿は全国でもまれにみる人間の近くで暮らしている 鹿です。鹿と人間がいつまでも仲良く過ごすためには人間側の配慮が欠かせません。 鹿がお腹を壊しますので人間の食べ物は与えないでください。また、ビニール袋など ゴミの誤飲は鹿の命にかかわるため、特にご注意ください。奈良公園には、鹿の誤飲 を防ぐためゴミ箱を設置しておりません。ゴミは必ず持ち帰りましょう。

サイクリングルート

鹿のやでは、レンタルサイクルをご用意しております。 奈良公園から市街地まで世界遺産の寺社めぐりなど、歴史散策をゆっくりと 楽しんでみてはいかがですか? 春日山から、原始林を楽しむ丘陵・山岳コースは上級者向け。 詳しくはフロントまでお問合せください。

興福寺 ( 世界遺産 )

南都七大寺の中で最も密接に奈良の街とつながりを持ちながら発展した寺。 和銅 3 年(710)藤原不比等が飛鳥から平城京へ前身の廐坂寺を移転したも ので、藤原氏の氏寺として、藤原一族の隆盛とともに寺勢を拡大しました。 最盛時には数多くの堂塔僧坊が立ち並んでいたといいます。また、神仏習合 の影響をうけ、春日社と一体化し、時には僧兵をしたがえて朝廷へ強訴に及 ぶまでになりました。治承 4 年(1180)平家に焼き打ちされ、ほとんどの堂 が焼失しますが、直ぐに再建されました。鎌倉時代には大和守護職の実権を 握り、実質的に大和国一帯を支配していました。現在の堂塔は、鎌倉以降の 建物を一部残し、広い境内に東金堂・中金堂・北円堂・南円堂・五重塔・三 重塔・大湯屋・大御堂・国宝館などが建並び、仏教彫刻類は天平時代や鎌倉 時代の名品を数多く保存しています。(中金堂は平成 30 年 (2018) に落慶しま した。)

薬師寺 ( 世界遺産 )

今からおよそ 1300 年も昔の白鳳時代、天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒 を祈り、藤原京にて創建されました。その後平城遷都に伴い、養老 2 年 (718)に現在 地に移されました。移転については、伽藍、仏像を全部そのまま移したという説と、寺 院の名籍だけを移し、伽藍や仏像は新しく造立したという説があります。前説なら東塔 や薬師三尊像などは白鳳時代の作となり、後説では天平初期の作となるため、美術史学 界を二分する重大な問題であり、現在も論争が続いています。金堂、講堂などを中心に、 東塔と西塔の 2 つの三重塔を配する構成は独特なもので、薬師寺式伽藍配置と呼ばれて います。この華麗な伽藍も数次の火災にあって次々と焼失し、創建当時の姿を残すのは 東塔のみです。しかし、昭和 51 年(1976)金堂が、昭和 56 年(1981)には西塔が、 その後中門、回廊、玄奘三蔵院伽藍が復原造営され、平成 15 年 (2003) には大講堂も落 慶し、今なお白鳳伽藍の復興を目指して再建が進められています。

唐招提寺 ( 世界遺産 )

聖武天皇の招きに応じ、苦難の末、日本にやってきた唐僧鑑真和上によ って建立されました。鑑真和上は日本に着いてから 5 年間、戒壇院での 授戒を制度として確立するために東大寺で過ごしましたが、東大寺から 解放された後、故新田部親王(天武天皇の第七皇子)の旧宅を賜り、そ こを「唐律招提」と称し、戒院として教学の場を営むことになりました。 やがて鑑真和上を支持する人々から居室や宿舎を贈られ、倉庫、食堂、 講義用の講堂、本尊を安置する仮金堂などが建てられ、鑑真和上の没後 も金堂や東塔が建立されました。平安時代初頭に伽藍全体が完成し、そ のころ「唐律招提」から「唐招提寺」となりました。国宝の「金堂」や 「講堂」といった建物や、「御影堂」の「乾漆鑑真和上坐像」など、趣の ある見どころも多い「唐招提寺」。境内の奥にある鑑真和上の墓所「開 山御廟」は、苔むした地面など落ち着いた雰囲気があり、こちらもぜひ 訪ねておきたい場所です。

元興寺 ( 世界遺産 )

蘇我馬子が建立したといわれる日本最古の寺院、飛鳥寺 ( 法興寺 ) がその前身 である。かつては、南都七大寺の一つとして現在「ならまち」と呼ばれる界 隈の大半を含む広大な寺院だったが、現在は、僧坊遺構の極楽堂と禅室を残 すのみとなっている。極楽堂と禅室には建立以前の柱や瓦が今もなお一部に 使われている。禅室は天平時代の僧坊の形をとどめる貴重な遺構。法輪館に は五重小塔 ( 国宝 ) や聖徳太子立像 ( 重要文化財 ) 等を安置。中世~江戸期の 貴重な庶民信仰資料 ( 重要有形民俗文化財 ) なども収蔵されており、中世以降 庶民に支えられてきた歴史を物語る。

平城京跡 ( 世界遺産 )

平城京は、今から 1300 年ほど前に、現在の奈良市につくられた都です。平 城京を中心に、律令国家としてのしくみが完成し、天平文化が花開きました。 平城京を中心とした 74 年間は、奈良時代と呼ばれています。平城京の中心 は、政治・儀式の場である大極殿・朝堂院、天皇のすまいである内裏、役所 の日常的業務を行う官衙や宴会を行う庭園など、都を治める官公庁が集まっ た平城宮でした。東西・南北ともに 1 km の東側に、東西 250m,南北 750m の張り出し部を持つ平城宮の周りには大垣がめぐらされ、朱雀門をはじめ 12 の門が置かれました。平城宮に入ることができたのは、皇族や貴族、役人や 使用人など、ごく限られた人々でした。現在、特別史跡として、世界遺産を 構成するひとつとして、だれもが自由に散策を楽しめる平城宮跡歴史公園と なっています。

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